本を読むのが好きで、定期的に図書館に通っている。
けれど、最近暫くは、ぎっしり活字の詰まったものが、なぜか気分的にしんどい。
読みたくて借りたはずなのに、1ページも開くことなく返したことも何度かある。
それでも、なぜか図書館に足が向く。
そんな今、素直に読みたいもの、無理なく読み通せるものは、ファッションや食といった何かしらのテーマが美しい写真と文章でまとめられたような類の本だ。
ビジュアルに割く割合が多いため、本全体に占める文章の量は、普通の小説やエッセイに比べると当然少ない。
しかしながら、それらは不思議と味わい深くて、ものすごく満たされる感じがする。
まるで、丁寧に作られた懐石料理や一口サイズの菓子を味わった時のような満足感。
言葉も食物も、そしてモノや情報も、斬新で刺激的なものが次々に現れて、そこら中に溢れかえっているような時代だけれど、値段の高低・有名無名にかかわらず、本当に味わいたいもの・本当に美味しいと思えるものは少ないように思う。
今日読んだのは『銀座ウエストのひみつ』(木村衣有子著)。
こちらは文章中心の本だったけれど、どんどん読み進められたと同時に、自分のアンテナに引っかかってくる箇所が多くて、いわゆるブックマークをするにも栞1枚では足りず、手近にあった紙やら広告やらをいくつも挟んでしまった。
迷いの多い人間として、モノづくりをする者の端くれとして、肯定してもらったような、励まされたような、気持ちがしゃんとしたような、とにかくありがたい気持ち。
以下、特に響いた言葉をいくつか挙げさせていただく。
その人その人、いろいろな考えかた、やりかたがある。うちは結果がよければプロセスはどうでもいいと言っているんです。
おいしいものを作る仕事なのだから、作る人たちもおいしいものを食べなければいけない。そういう「責任」もある。
雨の降った日に何をするかが大事。
どんなに売れるものでも基本的に人の物まねはしたくない。(中略)物まねした商品には愛着がわかないからです。
味も含め芸術や文化の世界は無駄(というか遊び)の部分がないと良いものができにくい様な気がします。
※以上、『銀座ウエストのひみつ』(木村衣有子著)より